· 

間島弟彦・愛子夫妻を知るための勉強会が始まりました

 2015 年2 月に「旧図書館の保存と活用」のためのシンポジウムが開催されてから5 年が過ぎました。

 

 その時会場で配付された『旧図書館と私』という小冊子には旧図書館への熱い想いとともに間島弟彦を顕彰する文が多く寄せられていました。間島弟

彦については旧図書館以外にも鎌倉国宝館や英勝寺山門に関わった篤志家として名が知られていましたが、銀行家であり育英事業を志した間島氏の幅広い活動や文化交流、特に教育分野に貢献した事などは知られていない部分もあったように思います。

 

2019 年2 月、間島弟彦・愛子夫妻の生涯について研究された青山学院大学の杉浦勢之先生の講演会が「ととも」主催で開かれました。先生は愛子夫人の生涯についてもお話されました。

 

 13歳で単身上京し東洋英和女学校に学び、キリスト教の洗礼を受けたこと。明治29 年に結婚して家庭を築くも一子道彦の夭折。その5 年後の昭和3年には弟彦氏が結核で57 歳の生涯を閉じるという哀しい別れ。愛子未亡人は夫の一周忌に和歌の師であった佐佐木信綱に撰を願い『間島弟彦集』を出版し、また同じ頃、母校青山学院の図書館建設に夫名義で多額の寄付を申し出、さらに鎌倉国宝館、図書館、学校などにも寄付を続けました。これらすべてが夫の遺志を継いだ奉仕の精神のもとに行われたというこ

と、後年には女性の文化諸般の発展向上をめざして設立された「東京婦人会館」の役員としても活躍したことなどを知り、「ととも」メンバーをはじめ多くの人が愛子氏の強い生き方に心を揺さぶられた講演会でした。

2019 年の秋には「ととも」が企画を任され、青学日本文学科OB の「間島夫妻の遺徳を学ぶ会」が催されました(会報No198)。これをきっかけに間島弟彦・愛子夫妻のことをもっと知りたいという熱意が高まり、どのような資料があるのか手探り状態の中、まず青山学院資料センターを訪問しました。

 

既に青学では『小伝 間島弟彦』という本を出されており折々鎌倉でも参考にさせて頂いていました。資料センターでは保管されていた基礎資料を見せて頂き、御教示を賜りました。資料の中には弟彦氏の直筆書簡もあり、あまりの達筆に畏れ多く、拝見する手が震えてしまいました。また、愛子夫人については「遺された資料は少ないけれど、佐佐木信綱門下の歌人としての作品が同人誌『心の花』に収められているので参考にしたら良い」との貴重なアドバイスを頂き、早速『心の花』を検索、鎌倉市中央図書館にもお世話になりました。またレファレンスの過程で『間島愛歌集』の存在を知り、その稀少な歌集が熱海市の図書館にあることが分かったときは喜び「熱海なら近い!」と、早速お訪ねして佐佐木信綱が寄贈した和装本を複写させて頂きました。家族を想う歌は胸を打たれるものばかりで、ほかに鎌倉の情景を詠んだ作品なども多く、いずれご紹介したいと思います。その日は慌ただしく熱海から三島へ移動し駿東郡長泉町にある「米山梅吉記念館」を見学しました。米山梅吉はロータリークラブの創始者

として有名ですが、間島弟彦とは青山学院の校友であり生涯の親友だった人です。学芸員の方は「残念ですがここには間島関係の資料は殆どありません」と前置きされながらも、間島夫妻に多大な影響を与えた米山氏の事績について、詳しく教えて下さいました。また記念館に隣接する「米山文庫こども図書館」も案内して頂きました。間島夫妻と同じように、米山氏も図書館を建て、沢山の本を寄贈されていたのです。

 

このようにして少しずつ資料や情報が集まり始めました。そして2020 年2月鎌倉NPO センターで初めての会合が開かれ、目標としては「サーバントリーダーとして鎌倉の発展に貢献した間島夫妻を顕彰し記録を残す」「間島夫妻の遺徳を伝え、旧図書館の保存・活用への理解を深めてもらう」「明治から大正・昭和を慈愛に満ちて生きた愛子夫人に学ぶ」などの意見が出されました。まだ会の正式名称も決まっていませんが、これから手分けして調査や研究をすすめていく予定です。 (会報200号掲載)